宝田芸術学園予科生の工程を一年満了したわたしは、翌年本科生には上がらず、一時郷里の博多に帰省した。

上京してまもなく、自営店をたたみ、住居を変えた母ひとりの住処は、博多の千代町という

 

当時セリ市場のあった区画に位置する一角の薄暗いアパートに住居を構えていた。

 

確実に母親のライフスタイルは変化を遂げていた。

病院の調理師として、働き先を変えた母が1人暮らすアパートの間取りは十分なスペースだったろうが

風呂はついていなかった。初めて帰郷した自分にとってのその住処は哀愁に満ちていた。

囚われをもたない母にとっては意にも介さずといった佇まい。

 

それがむしろ心に突き刺さる。

古き薄暗いアパートに住む母が、この場所を一人で決め、選び、引っ越し、母

 

にとっての一年という月日がわたしの中で勝手に廻る。

そこから、一年間

21歳の青年と母とのぎこちない僅かな暮らしが始まった・・・